残業せずに早く帰って陰口を言われる風潮
ぼっちな私にとってこういうストレスを発散できる場はとてもありがたいものであったりします。
もともと些細なことでもストレスをためやすい性格ではあったのですが、今の状況では余計ストレスを感じやすくなっている気がします。
さて、タイトルのケース
アンケートを取ったら「よくある」、「とてもよくある」で80%くらいのケースではないでしょうか??
これって何なんでしょうか。。
自分は残ってるのにとか思ったりしているのだろうか。。
どうしてそんな考えに至るのだろうか。いや、至ることができるのだろうか。
もちろんチームというは面倒なもので、一人で完結できる仕事というのはほぼないに等しい、つまり互いに影響があるため一人が早く帰るのは輪を乱す行為であるというように捉えられる
外から見た時にそう思われるのはわからなくもないのですが、同じチーム内でそのようなことをやっていて何をしてるんだろうという感覚しか生まれません。
不平不満はいっただけでは解決しないのに言葉に出すことで今現在のストレスを多少発散させることで平静を保つのが普通なのでしょうか。
まあ、その点ではここでこうしてる私も同じですが。
周囲にその雰囲気をまき散らさないだけよいと思いたいという逃げの姿勢。。
理想論でもなんでもなくて、全体を見通すことができること、部下の力量を把握することができること。
それができないならいくら長くても人を率いる資格はないと思う
こう考えるのが嫌で前の職場をやめたのに、結局は考えてしまうのが不毛なのでさっさと逃げ出したいと思うそんな一日でした。
京都では最低賃金の上昇を望むデモが行われているが正直うるさい(・・;
こんな日に限って京都ではドラムデモです(・・;
最低賃金1500円で世の中は変わるらしいです。。
最低時給では貯金や生活ができないといっております。
さてと、どこかでブログ記事を書くときに感情的になってしまうとよい記事はかけないということが書かれていました。
仕事だろうがブログだろうが、冷静に、論理的に取り組むことで自分に不足している部分や弱い部分が発見でき、かつその箇所への対処法を考える時間をとることができます。
さて、今まさに行われているデモについてはどうでしょう。。
主張していることを多くの人に浸透させたいなら、不満を叫び続けるのは悪印象しか与えないと思うのですが、やっている当人はどのようなことを考えながら行っているのかとても疑問です。
相手に伝えたいことをしっかりつたえるのであれば、まずは経緯、そしてどのような内容で誰に向かって何をつたえたか、どのような意見が上がり、話し合った結果どのような方向で進んでいくのかをしっかりと理解させないとなりません。
人さえ集めればよいという考えでは、人は集まっても目的を果たすことはどんどん遅れてゆくのではないでしょうか。
こういう活動を知ってもらうだけでも良いという考えもあるのでしょうが、これまでに述べている私の考えと合わせても小さなプラスがあっても大きなマイナスが発生する確率が高いと思われます。
大きなマイナスの中には「賃金を上げる」ことのできる立場の人間も含めて話をしています。
経営目線では人件費は低いに越したことはありません。
このことを理解できている人は多いかと思いますが、逆の感覚については理解できても見失いがちです。
つまり、あなたにはどのくらいの生産性があって、あなたが働くことでどのくらいの価値を生むのかという点です。セールスなどはシンプルである一方で、コンビニなどの接客ではイメージが付きづらいかと思いますが大体同じです。
つまり一人の店員がどのくらい売り上げるのかということです。
そんなことはお客さん次第だと考えるのは完全な間違えで、リピートするお客さんは商品だけでなく接客についても次に使うかの判断材料としています。同じ値段なら接客が良い方が満足度が高いので当たり前のことですよね。
そこになんの理由も説明することなく賃金だけ上げろというのは筋が通らないと思いませんか?
賃金だけだなんて言っていない。こちらにはこういう理由があって、、なんてことはドラムの振動を不快に感じる人間には会話の糸口すら不明瞭です。
私はしっかり働いている。
私の働きでリピータとなったお客さんもいるというのであれば店長へ時給アップの交渉をしてみましょう。
胸を張れる実績があれば快くOKしてくれます。
渋るのであれば見切りをつけて、評価してくれる場所を探しましょう。
このあたりはもっと書きたいこともあるので、別の機会に書きたいと思います。
そもそも最低賃金は最低限の生活保障のためのものであるとしています。
あくまで最低ラインであることを忘れてはいけないと考えていますが、どうでしょう?
つまり、先ほどの例のように雇われる側の努力次第で上がることができるのです。
このようなことを書くと、そんなことは理想であり、現実はそんなにやさしくないとか言われちゃいそうなのですが、、
甘ったれたこと言ってんじゃねーぞって言ってあげたい気分です^^
私は3年前まで最低時給で働いていたこともありますし、日当制であったため最低時給を下回ったことさえあります。
しかし、現在の私は時給換算にすると当時の3~4倍の価値を持っていることになります。
この待遇を得るため、自分にはどのような仕事があっていて、どうすれば給与が上がるのか、またこの職場の人間は自分を正当に評価してくれるのか等いろいろなことを学習し、身に着け、実践してきました。
なので最低ラインが上がることで自分の暮らしが良くなるという考えは持ち合わせていません。
不満だけでは何も変わらないため、自分から行動した結果が今の自分です。
冷静にと言いながらデモの声を聴くと冷静ではいられなくなるという、、これも作戦なのでしょうか。
人間の思考力が下がるのが夕方ごろらしく、その時間帯に演説を行うとより多くの賛同を得られるというのはヒトラーの演説で有名ですが、そのような仕組みもやるからにはくわえられているのでしょうか。
この点も今度調べてみましょう。
おしまい
コマンドーという最上の映画を見直しながら教育、評価について考えてみる
タイトルの名に恥じぬよう、金曜夜はコンビニで買った缶ビールで過ごすのが私にとって週末の始まりなのです。
AMAZONプライム会員は映画を無料で見ることができるということを知り、週末にわざわざ外出する意味を見失いつつあります。
調べていると子供のころ大好きだった映画が、今もネット上で人気であるということを知り、是非とも自分の考えを書きたいと思いました。
もちろん映画を見ながら書いていまし、酔っているので文章はよくわからないかもしれません^^
ストーリーや何がネタになるのかはほかの人が書いているのでよいとしましょう。
私は子供のころにテレビでこの映画を始めてみました。
アーノルドシュワルツェネッガーっという俳優を知ったのもこの作品です。
人間にとって子供のころの記憶というものは、大人になるにつれて起こる人格形成の基盤となると考えているのですが、この映画は間違いなく私の人生の基盤となるものです。
この映画、今は違うのかもしれませんが、私のときにのキャッチコピーが「1対1000」というものであり、アクション映画によくある銃弾が当たらない主人公ものなのです。幼い私にはこの「よくありがち」ということが理解できず漠然と次のように考えていました。
1000人の人間に匹敵する能力を持つ一人の人間は存在する
この考えはその後、学校教育を受けることによって間違いだと体に刷り込まれてゆき、何事もなく教育文化の引いているレールに従っていると気が付かないのですが、なんとレールを踏み外すだけで間違っていたことに気づいてしまうのです。
※、、、そのまま気が付かずにいれば間違いなんて存在しないしとても良い人生が送れるのですとか哲学的なことは苦手ですのでご了承くださいね。
すなわち、一人の人間の能力が1000人の人間の能力を超える可能性があり、人間は平等ではありえないのではないかということが幼心に感じていたことでもあります。
なぜか周りの人に行ったところで共感なんか得られないし、批判されるに決まっている
と当時はそのような主張をするのを押さえていました。
周りに合わせていれば何とかなるのが日本(だけ?)教育なのでしょうか。
確かに映画の世界はとても極端にできているとは思います。
しかし、それをあまりにも映画だから、フィクションだからで済ませてしまうのも考え物だなーとエンドロールを見ながら思うのでした
もうビールなくなっちゃったので買いに行こうかな。。
最後に一つだけ。
映画によく出てくる悪役の親玉ですが、B級映画ではよく部下の方が圧倒的に「できるやつ」である場合がありませんか??
こいつの方が組織をまとめた方がいいんじゃないの?と思うことも多くあるのですが、仕事をして、いろんな方にお会いしているといろんな考えの人がいるのだということに気づかされます。
人を率いるよりはお客さんとじっくり話したいという人や、自分のやりたいことをやらせてくれるなら立場はどうでもいいという人、逆にこの立場ではないとだめだという人もいます。
こうゆう人間の生々しい感情がむき出しになるのもB級映画にありがちなイメージがありますが、実際はどうなんでしょう、、計算されているのかもしれませんが素人っぽいというかなんというか
とりとめもない感じになりましたがおしまいです。
現在の若い人たちの嗜好って日本の格闘技が廃れた理由とつながっている気がする
ちらっと見たニュースに対してちょっとメモ程度の内容です。
これね、格闘技ってどんどん点取り合戦になっていってるよね。
あんまりおもしろくないのは事実だから廃れるのもわかる気はする。
今の若者って武士道(笑)意識高いとか(笑)とかそんな感じなんだろうなーって実感することもあるのでよくわかる
そういう私ももともとは現代風な思想の持主なようで、現在はそこからの脱却に必死になっているわけです。
でもこういうのって時代なわけでもあるのだからもうちょっと楽しくみんな乗っかればいいんだけど、そうもいかないのかな。。
個人的に格闘技は大好きだからもっと点取りじゃなくて芸術的なものが見たいこの頃です
点取りってやってる方も絶対面白くないし、見てる方もおもしろくない
これ、、、誰がたのしむの?メディアに出しても楽しめないよね
どんどん研究も進んで、相手のこともすぐに調査もできるような状況じゃ自分の身を守るのが最優先な戦法であって必死にデータを解析した結果得られた隙を突くことで勝率が一番高いと分析結果が出ているのでしょう。。
つまらない記事になってしまった気がするので次は楽しいことにしよう
就職活動なんてやめちまえ
タイトルから好きなこと書ける幸せ(笑)
やめちまえとはいったものの、私がやめた方がよいと思っているのは
みんな真っ黒なリクルートスーツを着て、義務教育時代から育んで来た集団行動のごとく首を縦に振るあれのことです。
相手がしゃべったら同意を示すために首を縦に振りましょうなんていうのをみんな真剣なまなざしで首を縦に振りながら覚えるのです。
今頃内定が通知されるのかなーなんて思って調べてみたら、、昨年は12月から会社説明会って^^;
※今年からは遅らせてるらしいけど
どうせならどっちかにしてほしいと思うのは私だけなのだろうか?
大学を3年にしたところで知識に大した差って生じないし、就職の期間を学生の身分で好き勝手できる方がいいとも感じる
就活だから講義休みますとかおもしろいよね
個人的には新卒用じゃなくて転職サイトで、ベンチャー企業の未経験可の求人に応募する方が楽しいはず(笑)
一日に4,5件くらい面接の予約とかして一気にしゃべってみるとかね
面接を楽しむではないけど、面接相手との会話を楽しんだ方が受かる確率も上がるだろうし、何より作業じゃないから絶対自分の力になる
なんでベンチャーかっていうと、慣れてないから。採用側が。
学生も慣れてないから面白い空間が発生する可能性が大きいとの見解。
いいね。遠くから眺めてたい(笑)
これが採用慣れしてる担当者に定型の面接慣れしてる学生だと、、
文字だけで結果がわかるっていう新たな発見がありました^^
周りと同じ受け答えができて、周りと同じように喋って、周りと同じような雰囲気なのが最低ラインだ!って考える担当がいるのは確かだけど
でもそれって面接官っていうか人である以上当たり前のことだと思う
まあ、大きなところ行くんだ!って決めててもやってみる価値はあると思いますよ
なぜなら働き始めたらあまりそういう気にならないから。
どうしても安定というものに弱いから
でもこれをやっておくと、2、3年経った時にふと思い出したりするかも。
「あの人こういうこと言ってたんだ」とか
それを知らずに過ごすにはもったいなさ過ぎると思ったから書いてみました。
おしまい
初投稿(テスト含む)
ついに開設してしまいました。
Hatena ぶろぐにはちょこちょこお世話になっているので、こうやって自分が記事を書くのは新鮮な感じがします。
これまでは無理に技術系のブログを作ったり、アフィリエイトのWebサイトを立ち上げてみたり、そんなことを繰り返しつつ色々やっていましたが、、
これって自分が本当にやりたいことなのかなと、最近徐々に感じ始めてきていまして。。
本音でものが言える場所を一つ用意しようと考えた次第です。
その結果が、はてなブログです。
具体的には以下の3つ
・自分が今まで使ったことない
・サーバの構築をしなくてよい
・モダンなデザインかつ人が沢山いて読んでくれる人が一定数いそう。
が当てはまるサービスを探していて、丁度よさそうということでアカウント登録してみました。
書くことのテーマは「これまでの下心は捨て、本音を書く」
なんか、ものすごい言葉の連続でいろんな人から叩かれそうな気もしますが(見てくれる人がいれば、、)続けたいと思います。