京都では最低賃金の上昇を望むデモが行われているが正直うるさい(・・;
こんな日に限って京都ではドラムデモです(・・;
最低賃金1500円で世の中は変わるらしいです。。
最低時給では貯金や生活ができないといっております。
さてと、どこかでブログ記事を書くときに感情的になってしまうとよい記事はかけないということが書かれていました。
仕事だろうがブログだろうが、冷静に、論理的に取り組むことで自分に不足している部分や弱い部分が発見でき、かつその箇所への対処法を考える時間をとることができます。
さて、今まさに行われているデモについてはどうでしょう。。
主張していることを多くの人に浸透させたいなら、不満を叫び続けるのは悪印象しか与えないと思うのですが、やっている当人はどのようなことを考えながら行っているのかとても疑問です。
相手に伝えたいことをしっかりつたえるのであれば、まずは経緯、そしてどのような内容で誰に向かって何をつたえたか、どのような意見が上がり、話し合った結果どのような方向で進んでいくのかをしっかりと理解させないとなりません。
人さえ集めればよいという考えでは、人は集まっても目的を果たすことはどんどん遅れてゆくのではないでしょうか。
こういう活動を知ってもらうだけでも良いという考えもあるのでしょうが、これまでに述べている私の考えと合わせても小さなプラスがあっても大きなマイナスが発生する確率が高いと思われます。
大きなマイナスの中には「賃金を上げる」ことのできる立場の人間も含めて話をしています。
経営目線では人件費は低いに越したことはありません。
このことを理解できている人は多いかと思いますが、逆の感覚については理解できても見失いがちです。
つまり、あなたにはどのくらいの生産性があって、あなたが働くことでどのくらいの価値を生むのかという点です。セールスなどはシンプルである一方で、コンビニなどの接客ではイメージが付きづらいかと思いますが大体同じです。
つまり一人の店員がどのくらい売り上げるのかということです。
そんなことはお客さん次第だと考えるのは完全な間違えで、リピートするお客さんは商品だけでなく接客についても次に使うかの判断材料としています。同じ値段なら接客が良い方が満足度が高いので当たり前のことですよね。
そこになんの理由も説明することなく賃金だけ上げろというのは筋が通らないと思いませんか?
賃金だけだなんて言っていない。こちらにはこういう理由があって、、なんてことはドラムの振動を不快に感じる人間には会話の糸口すら不明瞭です。
私はしっかり働いている。
私の働きでリピータとなったお客さんもいるというのであれば店長へ時給アップの交渉をしてみましょう。
胸を張れる実績があれば快くOKしてくれます。
渋るのであれば見切りをつけて、評価してくれる場所を探しましょう。
このあたりはもっと書きたいこともあるので、別の機会に書きたいと思います。
そもそも最低賃金は最低限の生活保障のためのものであるとしています。
あくまで最低ラインであることを忘れてはいけないと考えていますが、どうでしょう?
つまり、先ほどの例のように雇われる側の努力次第で上がることができるのです。
このようなことを書くと、そんなことは理想であり、現実はそんなにやさしくないとか言われちゃいそうなのですが、、
甘ったれたこと言ってんじゃねーぞって言ってあげたい気分です^^
私は3年前まで最低時給で働いていたこともありますし、日当制であったため最低時給を下回ったことさえあります。
しかし、現在の私は時給換算にすると当時の3~4倍の価値を持っていることになります。
この待遇を得るため、自分にはどのような仕事があっていて、どうすれば給与が上がるのか、またこの職場の人間は自分を正当に評価してくれるのか等いろいろなことを学習し、身に着け、実践してきました。
なので最低ラインが上がることで自分の暮らしが良くなるという考えは持ち合わせていません。
不満だけでは何も変わらないため、自分から行動した結果が今の自分です。
冷静にと言いながらデモの声を聴くと冷静ではいられなくなるという、、これも作戦なのでしょうか。
人間の思考力が下がるのが夕方ごろらしく、その時間帯に演説を行うとより多くの賛同を得られるというのはヒトラーの演説で有名ですが、そのような仕組みもやるからにはくわえられているのでしょうか。
この点も今度調べてみましょう。
おしまい