コマンドーという最上の映画を見直しながら教育、評価について考えてみる
タイトルの名に恥じぬよう、金曜夜はコンビニで買った缶ビールで過ごすのが私にとって週末の始まりなのです。
AMAZONプライム会員は映画を無料で見ることができるということを知り、週末にわざわざ外出する意味を見失いつつあります。
調べていると子供のころ大好きだった映画が、今もネット上で人気であるということを知り、是非とも自分の考えを書きたいと思いました。
もちろん映画を見ながら書いていまし、酔っているので文章はよくわからないかもしれません^^
ストーリーや何がネタになるのかはほかの人が書いているのでよいとしましょう。
私は子供のころにテレビでこの映画を始めてみました。
アーノルドシュワルツェネッガーっという俳優を知ったのもこの作品です。
人間にとって子供のころの記憶というものは、大人になるにつれて起こる人格形成の基盤となると考えているのですが、この映画は間違いなく私の人生の基盤となるものです。
この映画、今は違うのかもしれませんが、私のときにのキャッチコピーが「1対1000」というものであり、アクション映画によくある銃弾が当たらない主人公ものなのです。幼い私にはこの「よくありがち」ということが理解できず漠然と次のように考えていました。
1000人の人間に匹敵する能力を持つ一人の人間は存在する
この考えはその後、学校教育を受けることによって間違いだと体に刷り込まれてゆき、何事もなく教育文化の引いているレールに従っていると気が付かないのですが、なんとレールを踏み外すだけで間違っていたことに気づいてしまうのです。
※、、、そのまま気が付かずにいれば間違いなんて存在しないしとても良い人生が送れるのですとか哲学的なことは苦手ですのでご了承くださいね。
すなわち、一人の人間の能力が1000人の人間の能力を超える可能性があり、人間は平等ではありえないのではないかということが幼心に感じていたことでもあります。
なぜか周りの人に行ったところで共感なんか得られないし、批判されるに決まっている
と当時はそのような主張をするのを押さえていました。
周りに合わせていれば何とかなるのが日本(だけ?)教育なのでしょうか。
確かに映画の世界はとても極端にできているとは思います。
しかし、それをあまりにも映画だから、フィクションだからで済ませてしまうのも考え物だなーとエンドロールを見ながら思うのでした
もうビールなくなっちゃったので買いに行こうかな。。
最後に一つだけ。
映画によく出てくる悪役の親玉ですが、B級映画ではよく部下の方が圧倒的に「できるやつ」である場合がありませんか??
こいつの方が組織をまとめた方がいいんじゃないの?と思うことも多くあるのですが、仕事をして、いろんな方にお会いしているといろんな考えの人がいるのだということに気づかされます。
人を率いるよりはお客さんとじっくり話したいという人や、自分のやりたいことをやらせてくれるなら立場はどうでもいいという人、逆にこの立場ではないとだめだという人もいます。
こうゆう人間の生々しい感情がむき出しになるのもB級映画にありがちなイメージがありますが、実際はどうなんでしょう、、計算されているのかもしれませんが素人っぽいというかなんというか
とりとめもない感じになりましたがおしまいです。