社会に適合できないから技術職をと思って仕事を選びましたが、そもそもの考えに誤りがあるのではと思うようになりました。
今週のお題「今の仕事を選んだ理由」となっていたので、書いてみようと思います。
明日も出勤な私ですが、色々と「今の仕事」には思う部分も多々あるため、ここで発散したいなと。
システムエンジニアを選んだ理由
もともと私は接客業からの転職としてシステムエンジニアを選びました。
理由は結構単純で「自分は社会に適合できない人間」と感じていたからです。
天才、才能がある、知能が高いといっても私はぶっちゃけ周囲の人間と変わりはありません。
後で触れるかもしれませんが人より圧倒的に早く、少し上手に物事がこなせるようになる程度で、そこからの上昇、言い換えるとそれ以上の向上心を持てるような気分になることはありませんでした。
正確にはある程度までできるようになるのは早いため、これもおもしろそう、あれも面白そうとなってしまうのです。
気づけばどれも中途半端な状態で歳を重ねていく自分がいました。思えば大学もこれを4年間でやるのは時間の無駄と感じてしまったのでした。
まさに「努力に勝る才能なし」という状態な訳です。
仕事の内容にも飽きてしまうのです。
そこで当時23歳の私は考えました。
こんな私が一生の仕事としてできるものは何か?
消去法で転職の可能性を探る
そのために私は改めて自己分析を行い、自分の性格に合っていると思われる条件を挙げてみました。その結果がこちらです。
①常に新しいことが学べる仕事であること
②実力主義の仕事であること
③転職が容易な仕事であること
④将来的に独立が可能な仕事であること
この時点でそこに並んでいたのはかなりハードルが高そうなお仕事たちでした(笑)
コンサルティング、金融、アパレル、そしてSE、PGといった具合です。
※特に改めて調べてはいないので漏れている可能性もあります。
そこから私が応募可能である仕事をピックアップしていきました。
①学歴不問
②未経験可
アパレルとSE、PGが残りました。
今はアパレル興味ありますが、当時はファッションにまったく興味なかったんです(・・;)
そんなこんなで結果としてエンジニアが残りました。
自分が社会に適合できないと考える理由
人間ってパターン化できる
先ほど「天才とは」について少し触れた通り、同じ天才であっても技能については人それぞれだと確かに思います。
※努力に勝る天才なしとは言いましたが、努力した天才が一番なのも事実です。
では逆に天才に共通することとは何かというと、それは感受性の豊かさ(あくまで主観ですが)だと思います。
私は自分の中の対して役に立たない(むしろ今は不要な)特技として、相手の考えがある程度わかる力を持っています。
別に電波な感じとかではなくただのパターンの話なので引かないでください(笑)
考えがわかるということは望むものもわかるため、相手が望むような人物像を演じることで面接などは結構うまくいく傾向にあるのです。
反射的に転職活動をはじめてから1か月後には新しい職場で働いていました。
人間って思ったよりつまらない
例えば外国語を学ぶには、週一回の教室に3年通うのと実際に3か月住むのでは、後者の方が前者より圧倒的に語学力が付くだけでなく、文化や思想についても身につくという特典が付いてきます。
これと同じように私のような人間を実際の社会に放り込むと、相対する人間の中身や社会(会社)の仕組み(≒文化や思想)という特典が嫌でもわかってしまいます。
しかも圧倒的な速さで吸収を行うため、年齢に似合わない言動を目上に人間にするようになり、上司のプライドからかなんとなくその旨を伝えられた時に急激に、本当に急速に会社という組織がつまらなくなりました。
周りと仲良くすればいいじゃんと軽く言われたこともありますが、わざわざ自分を抑えつけてまで周囲と迎合するのはすぐに限界を迎えてしまうのが目に見えていますし、実際に経験もあります。
そして私は2年ほどで別の会社へと転職するのでした。
システムエンジニアは決して楽ではないがつまらなくもない仕事
会社をやめはしましたが、開発については本当にいろんなことを学びましたし、この業界、職種でまだ学ぶこともたくさんあるため一生やっても問題のない仕事であると感じているのは事実です。
しかし、どこか違う感が否めず、一生やりたいではなく、問題はないくらいのイメージしか付きません。。
重要なのはやはり組織なのか・・・
結局仕事の内容ではなくその会社、社会との関係性についてリラックスできていないのではないかというのが今の自己分析の結果です。
そして転職先は過去の自己分析の結果の通りすぐに見つかりましたが、前の職場が個性的な人物が多かったためか、今回の職場ではより自分を押さえるようになっています。
再転職をきっかけ労働者である自分に疑問を持つ
今現在も自分を押し殺して耐えている自分がいるのは理解しているため、改めて問いかけました。
こんな私が一生の仕事としてできるものは何か?
私の中には新しい考えが数年前とは違う考えが生まれていました。
今まで与えられた仕事をこなすことが前提であり、自分に最も合った労働を提供できる仕事はと考えていたのですが、実は高望みではないのかと考えるようになりました。
仕事を自分で作り出すこともできるということを今まで気づいていませんでした。
先ほど書いたように年齢に見合わないと思われるのなら見合うように自分を押さえるのではなく、見合うだけの立場を手に入れてしまえば良いのではと思うようになったのです。
リラックスした状態で最高のパフォーマンスを出すためにはこれが最良なのではないかと考えるのでした。
というところで眠くなってきましたので続きはまた今度にします。
※多分文章もおかしいと思うので見直しておきます。