ぼっちな天才が好き放題書くブログ

ぼっちな天才をやらせていただいてます。社会、仕事、教育を個人的な目線で好き放題書くのです・・・

謙虚であることは「徳」か「罪」か

「得」はするでしょうね

 

という冗談を言うのではなく、久しぶりに段落を使った文章を書いてみようと思います。

 

きっかけはブータン国王の演説

 

chan75.hatenablog.com

 

いやいや!

私なんて、日本なんてそんな大したものじゃありませんよ!

 

って声が聞こえてきそうなくらいべた褒め、、こういわれて日本人はなんて返すんだろう。

 

一国の主が、 他国に向かって敬意を表明するって行為に対してそれ相応の返しはしなければならないので、、、考えてみた!

 

①尊大な感じで、上から目線

あの時は大変でしたね。

現代では我が国が混迷の時期を迎えていますのであの時の恩を返してもらえませんか?

これからも我が国への敬意を失わなければあなたの国にもそれ相応の見返りが待っているでしょう。 

②謙虚に、あくまで下手に出る

いえいえ、あの時の日本はどうかしてたんです。

これから未来永劫国際社会に詫び続けなければならないんです。

どうかそんな国を尊敬の目で見ないで頂きたい。

 

うーん

 

①の方がまだ良い気がするのは自分だけかな?

戦争のとき、色々なことがあったけどそれで助かった人や国があるのも事実といえば事実。

その体験を忘れず感謝の念を向けてくれるのに対して突っぱねるのは逆に印象が悪くないだろうか・・・

 

入りが大きすぎた

国の話とか、私自身勝手にやってくださいな考えなのでそこまで言及はしない。

大切なのは、今自分の周囲を取り巻く環境にこの話題がどう影響するかというところで話をしなければ明日の休日出勤を乗り越えられない(笑)

 

仕事での場合に例えてみる

やはり一番イメージできるのは仕事だろう

めっちゃざっくり

  1. 大失敗!取引先の大企業等への損害賠償等々、数十億の損失をもたらす
  2. 一方、利益にはならなかったものの、過程で良い影響を受けた企業が存在する

 

いろいろ言いたいことがありそうだけど要はこういうことかな?

違うなら詳細教えて!

 

やっぱりおかしいと思うのは間違っている?

だって損失は損失、得た信頼は得た信頼で対応して行かないと、、全体で謙虚に対応していたら損失の力が勝るわけだからつぶれてしまうよ。

 

 これは個人であっても同じだと思う。

謙虚に出すぎて、過去の失敗をずっと引きずることでは新たな成果が生まれない。

これは全体としてもよろしくないのは明白でしょう。

 

謙虚であって得することと損すること

じゃあ、なぜ謙虚でいる必要があるのか。

答えは簡単。メリットがあるから。

 

すなわち、冒頭に冗談まがいで書いた「」であるから

 

得するのは他者(主に上司)からの評価

ゴマすってると自然と気に入られて評価も高くなるのは間違いない。

これは自分自身が実験したので確信をもって言える。

お客様でもないのに社内でそんなことをしている自分が一番嫌いだったけど。

 

でも 

自分自身の成長は諦めなければならないことが損の部分

これに気づかない人って意外と多い気がする。

だって国ですら気づいていない、あるいは気づいていても実践できないのだから。

 

謙虚になって得た答えと苦労して時間をかけて得た答えが一緒であるならば、短い時間でやった前者の評価が高い。

そして、前者が答えを得る時間が短いということがあり得る為に、この問題は難しくなっていると思う。

 

で、ここまででふと思ったこと

それって本当に「謙虚」なの?

謙虚って徳の一つなんだって。

大好きなWikipedia に書いてあったから間違いない

 

徳 - Wikipedia

 

西洋哲学では謙遜がキリスト教時代まで登場していないらしい。

それまでは、叡智正義勇敢とか完全に戦争とかそのあたりで使いそうな単語が並んでいる

 

謙虚さが美徳であること自体は事実

ここまで読んで反論がある人っていうのは謙虚でなければわからない、得られないものもあるってことが言いたいんだと思うけど。

それってそこまで謙虚にならないと得られないものなのかな?

 

中庸という言葉にもあるように、やっぱりバランスが大事で、徳として挙げられるすべてを網羅しなければならないと個人的には思っている。

考えることができない人間が間違った解釈をする

でも一般的にここまで考えてものをいうのが珍しいということも知っている。

では考えないでどうしてそういうことを言えちゃうのか、そしてその言葉が影響を広げてしまうのか。

良さげな言葉を自分のものにせずそのまま使う

言葉を自分の中で解釈せずにそのまま使うことでこのような現象は生じるのだと思う。

こういった情報は良く練られているものだから、あまり文章が得意でない人間にもすんなり入ってくる。

そのような読みやすい文章を会社のお偉いさんが次のように紹介したらどうだろう。

-----------------------------------

Title:謙虚さは美徳

 

お疲れ様です。

新聞に興味深い記事が載っていましたので皆さんに紹介します。

 

世の中には「徳」という言葉があります。

徳は「美徳」と「悪徳」に分けられますが、私が特に重要だと思う一番の「美徳」は「謙虚」であることです。

 

謙虚である、すなわち一歩引いた態度で物事を見ることにより、普段より多くの発見があることでしょう。

 

以下は参考URLです。

URL:http://xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

------------------------------------

 

なんとなくよさげに見えるでしょう?

肩書きというのが重要という話題はまた別の機会で言及したいと思いますがここで言いたいことは、人と情報を共有するためには想像以上の労力を要するということ

 

上辺だけわかったつもりでさらに広まる、そしていつの間にか常識になる。

 

謙虚であるよりも情報を引き出す術を身に着けたい

と個人的には思う。

 

 

【駄文】バレンタインデーの記事を描こうとしたらVB.NETにたどり着き、シェイクスピアに今の自分について諭された

今週のお題「バレンタインデー」

 

始めに駄文宣言したんで良いでしょう

よいでしょう

 

今週のお題は何かなーと軽い気持ちで確認してみると「バレンタインデー

 

・・・さて、どうしてくれようか。

 

バレンタインデーとか正直未体験の領域すぎて書くことが無い

まず私はバレンタインデーというものを良く知りません。

正直に言いましょう。

チョコをもらったことは家族、親族を除いてありません。

※そりゃ小学生とかそのあたりでは義理チョコっぽいものをもらっていましたが

 

まったくと言ってよいほどバレンタインに縁のない人間なんです。。

 

やっぱり大事なのはWikipedia

私はボッチなので話を聞くことができる友達もおりませんしどうしましょう。

なんでも重要なのはインターネットということを改めて実感しました。

もう、俺にはこれしかないんだ^^って感じ

 

いつもの慣れた手つきでグーグル検索を行いましょう。

ワードは迷うこともないですね

バレンタイン

検索結果は三つめですね。項目はバレンタインデー

グーグル先生も日付が近いからなのか。

まあ、そんなことはどうでもよくて、もうね、ネットさえあれば情報なんて手に入るのだから、人間との付き合いって何なんだろうねーと涙を浮かべながらページを開くのですよ。

バレンタインデー - Wikipedia

 

読みながら自分なりに要約しましたので忙しい方はどうぞ。舞台はローマ帝国のようですな。

 

【前提】

  • 2/14は一番偉い女神さまの誕生日。
  • 2/15が豊作祭の開始日。
  • 14から15にかけて女性の名前が書かれた紙を男性が引くことで祭りのパートナ―を決める行事を行っていた(女性が前日に自分の名前を書いて所定の場所へ入れておく)
  • 祭りの期間中はその男女で過ごすため、そのまま恋に落ちて結婚する男女が多かった

 このやろ 

なるほど、ためになりますね。でもこれではまだお見合いパーティーみたいな感じなので今の行事とちょっと違うような。。と思ったらイベント発生です。

  1. 戦争発生
  2. 兵士の士気が下がるからとローマ皇帝結婚禁止宣言
  3. でも結婚したい兵士はいる
  4. ウァレンティヌス(Valentinus)司祭が秘密裏に結婚式を行わせる
  5. ばれる
  6. 見せしめの意味を込めて2/14に処刑される

これらのことから2/14は恋人たちの日となったといわれている。

 

チョコとか送ってる場合じゃねーぞ(ひがみ)と言いたい^^

あ、でもクリスマスが、家族で祝うものだからバレンタインは恋人同士ってことかな??

恋人版クリスマス?あながちチョコ送るっていうのも間違ってないのか。お菓子会社の陰謀説とかいうつもりもないけどさ。

 

バレンタインよりシェイクスピアの方が興味ある

そうなんです。

他にもちょっと項目あるんですが、仮設とか異論なのであまり注視せずに目線を下にやったら、シェイクスピアが飛び込んできたんです。

冒頭でお話した通り、シェイクスピアなら好きで結構読んでいたので、

「お、なんか関連しているとこあったっけ?」と思いながら引用の英文を飛ばして出店先を確認すると「ジュリアス・シーザー」じゃないですか^^

 

しかも冒頭のシーンが2/15からのお祭り「ルペルカリア祭」とのこと!

読んだことあるけどそこまで気が回っていなかったなーとか考えながら引用文に目をやりました。

 

For this was on seynt Volantynys dayWhan euery bryd comyth there to chese [choose] his make [mate].

 

思考が停止した次の瞬間頭の中はVBでした。

何を言っているのかわからないと思うが、、(元ネタよくしりません。ごめんなさい。)

わかるかたはわかりますよね。

ちなみに私の英語力はなんとなく、なにがいいたいかわかる程度です。

※なのでForから始まる英文にあまり縁がありません

 

先にこの引用を見て頂きましょうか。(プログラミング言語に興味があればリンクからどうぞ)

指定された回数だけ、一連のステートメントを繰り返すフロー制御ステートメントです。

For...Next Statement (Visual Basic)

そうなんです。

今の自分の理解力では、Forが頭にくるのはループのときなので、英文としてこれを見れなかったのです。

 

自分でもびっくりするくらいの速さで頭が仕事モードに切り替わったのがわかりましたし、同時にちょっと怖くなりました。

 

  • シェイクスピア大好きだったけど最近読んでないなーとか

  •  最近空いた時間は本読まないでブログとか、ライティングの仕事ばっかだなとか

  • 今のままで本当にこれからもっと稼ぐことができるのかなとか
  • ・・・
  • 久しぶりにシェイクスピア読んで一度落ち着いてみようかな。

 

結局一番好きなのはシェイクスピアの「マクベス

色々思考が二転三転しましたが、結局「バレンタイン(流行)」も「VB.NET(今の仕事)」も自分には響かず、「ライティング(副業)」にも不安を持っているという分析が完了したことになります。

 

シェイクスピア先生、さすがです^^;

 

読んだら感想文でもあげてみますね^^

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[追記]手元にあった画像あげときます。いつかけるかなー

 

 

ちなみにウァレンティヌス司祭がなくなったのが269年とのことなので1700年程の時を超えたということに、、

ウァレンティヌス(Valentinus, ? - 269年2月14日?)

 

なりませんな。

 

明日の日曜は気持ち切り替えようと頑張る私なのでした。

お気に入りのカバンメーカー「マンハッタンパッセージ」

今週のお題「お気に入りの一着」

 

おすすめのかばんでもいいってことなので、是非お勧めしたい「マンハッタンパッセージ」について書きますね。

 

「マンハッタンポーテージ」とは違うので注意してください。

 

www.manhattanpassage.com

 

こんな名前ですが日本の会社さんです。

 

知っている方ってどのくらいいますか??

自分が好きだからかもしれませんが、電車の中で同じところのカバンを見かけるととっても嬉しくなります(笑)

 

初めて見た時にほぼひとめぼれで購入したのが下のブリーフケースで、とっても機能的なのにかっこよく非の打ちどころがないのです。

www.manhattanpassage.com

 

最近は旅行用に小さいボストンバックも購入しました。

www.manhattanpassage.com

比較的安いのに意外とたくさん入る上、軽くてまさに小旅行によく行く自分にピッタリです。

 

とまあ、こんな感じで私の持っている鞄は最近このメーカーで統一されつつあります。

おそらく次は長期間の旅行用鞄が欲しくなるのかと思うのですが、なんとManhattanPassageではキャリーケースが一つしか出ていないというまさかの展開。。

www.manhattanpassage.com

 

あとは大容量のボストンバックなのですが、やっぱりコロコロしたい

 

どうしようか迷っている私なのでした。

今日は短めでおやすみなさい

 

宣伝とかではないですが、是非見かけたら手に取ってみることをお勧めしますよー

 

今週末はこれ以上かけそうにないので今のうちに投稿しておくのでした。

 

20歳で大学に行く意味を見いだせなくなった

今週のお題「20歳」

 

。。ちゃんと退学してますよ

 

20歳というのは私にとって大きな変化があった年でした。

 

私は大学に入学はしましたが、卒業はしていません。

いわゆる「中退」であり、学歴上は「高卒」となります。

 

そして、大学を辞める決意をしたのが丁度20歳の時でした。

 

もともと大学に行くつもりはなかった

もともと体を動かすことの方が好きだった私なので、将来は肉体労働によって対価を得るものとばかり考えていたのです。

 

しかしそんな私が進学した高校は地元でも有名な進学校でした。

 ※このあたりにもいろいろ紆余曲折あるのですが、また機会があれば書きたいと思います。

 

進学校なのでみんな進学します。

周りが全員大学の話をしている中、私は正直どうでもよかったのですが、両親からの要望もあり、手ごろな国立大学へ進学することにしました。

 

よく合格してうれし泣きしている受験生がいますが、努力というものは運動限定であった当時の私には全く理解ができませんでした。

 

アルバイトとして初めて働いたことでこれからの人生について考えるようになった

そんなこんなで大学へ入学した私ですが、正直びっくりしていました。

こんなことを4年間もかけて行うのか 

1単位とるのに1コマ90分の15コマ分くらい通学する必要があるのですが、がっつりやれば大体1日分で取れてしまうようなものばかりでした。

 

本当にいく意味を見いだせなかったのですが、大学に通うことでしか見いだせないものもあるのではと講義に言ったりもするのですが、結果はおなじでした。

 

本を15分読んで得られることを 90分じっくりと行うのです。

なので、出席のゆるい講座をねらってテストだけ受けに行くような単位の取得方法を取っていました。

 

では大学以外で何をしていたかというと、、友達の紹介でバイトを始めていました。

接客の仕事でしたが、お客さんと話をするのが楽しくて(厳密にはいろいろなタイプの人を見るのが楽しくて)どんどんのめりこんでいきました。

 

今までの学生生活がどれだけ狭いかもわかりましたし、同時にこれからの学生生活も狭いものであるという絶望感が漂っていました。

 

周りは考えすぎ、今そんなこと考えてもしょうがない(卒業してからでも遅くない)

 

絶望感は働くことによって解消していきました。

 

当時は教科書よりも実践できる喜びがとても大きくて、自分が周りと少し違う道を進み始めていることに気づきながらも知らぬふりをしていました。

 

学年で2年となり、大学の単位もおざなりになってきたあたりで周囲が異変(笑)に気が付き始めたのです。

 

私は素直に以下のことを伝えました。

  • 内容的には問題なく吸収できていること
  • これ以上時間を無駄にしたくないこと
  • 大学を続けていく方が人生にマイナスであると判断したこと

 

周囲の理解を得られるのはそれからさらに3年ほどたってからのことですので、この時点では拙い私の説明もあり猛反対でした。

 

当時の私は特に問題視せずにそんな生活を3年ほど続けます。 

 

意外と世の中生きていける

アルバイトから契約社員となって次第に職場でもベテランとなっていきましたが、もともといろいろな仕事がしたかった私ですので、新しい仕事に興味を持ち始めていました。

 

それが今の仕事であるSEです。

 

正直自分にはSEは向いていないと思っている今日この頃ですが、転職を決意した時は技術職にあこがれていました。

 

人当たりはいい方ですが、私は人の内面を見るのが得意なのであまり長い時間同じ職場で働くのに向いていないため、これ以上同じ職場ではぼろが出ると感じていました。

 

なので出向があって、比較的変な人でもやっていける、さらには転職が容易なSEはとても魅力的な職業でした。

 

あれから年月が経っていますが、学歴が邪魔になったというケースは特にありませんでしたし、それよりもコミュニケーション能力が重要だなというのを身に染みるほど感じていました。

 

少し前に企業が最も欲するのはコミュニケーション能力というアンケート結果がネットでニュースなどで取り上げられていましたが、普通に大学で勉強しているだけでは企業の求めるコミュニケーション能力というものは絶対に身につかないでしょう。

 

なんだかんだで不自由はしないものだなということと、行動してよかったなという気持ちが今は強いです。

 

道を外れないと見えないものもある

しばらくは落ち着くつもりもない私ですので、これからもいろいろなことに挑戦したいと思っています。

 

 ソクラテスの「無知の知」という言葉がありますが、もしも私があのまま大学にいたら、今の生活について考えることすらなかったと思うのです。

 

そんなの無理に決まってるという話ではなくて、

あのまま生活を続けていたら、きっとその先の道が固定されてしまい、別の道があることについて考えるという根本的なことにすら気づけなかった可能性があるということです。

 

今の私にはこれからの道、道を外れて別のことをする道がイメージできます。

こう考えることができるようになったことが一番の成長だと思うのです。

 

とりあえず今日はこんな感じで終わりにしたいと思います。

公立学校の義務教育に関わると大人も子供も得しない

義務教育では毎日宿題というものが出され、時間外で努力をしたことが認められる傾向にあるなと考えていたところからおもむろにブログ作成のページを開いていました。

 

私の義務教育時代を振り返りながら、義務教育での「授業」から「塾」といった時間外にさらに学ぶことを推奨する傾向について考えていたら、教育する側、される側、どっちも得しないなと気づいてしまいました。

 

皆さんも自分の義務教育時代を思い返してみて下さい。

お子さんがいる方には是非読んでほしいです。

 

義務教育での授業

確かに約一時間ごとに休憩をはさみ、計画に沿った授業を行っていくことに関しては良い感じです。

しかし、その日の授業を受けるために予習、復習を行い、宿題というものをこなさなければインプットができないほどの分量を課すのは完全に学校運営側のマネジメント不足と言わざる負えないでしょう。

 

私の場合ですが、小学校の授業は聞いているだけでテストの点は満点で、宿題はしていませんでした。(もちろん怒られ、成績の欄には提出物は出しましょうとの文言が、、、)

つまり小学校の教育は定められた時間内で吸収し、パフォーマンスを発揮することができたといえるでしょう。

 

そこにほころびが生じたのが中学校に入学してからです。

授業を聞いているだけではテストの点数が満点ではなくなり、びっくりした私は自宅でも勉強をすることになりました。(時間外労働ならぬ時間外勉強をしている気分でした)

結果として9割ほどの点数を取ることはできたのですが、満点ではありませんでしたので今まで満点が当たり前だった私には9割でも6割でもあまり変わらない感覚なのでした。

周りからはすごいねともてはやされたのですが、何がすごいことなのか全然理解のできない私は学ぶことの意味を失い当時所属していた部活(運動部)の方に力を入れるのでした。

 

もちろん当時からこのようなことは小学校と中学校のテストの考えが異なっていることから起こることであることも理解していたのですが、そのために勉強における完全な成功体験を失ってしまったともいえます。

 

学校の外で勉強するという不合理

学校で成績が良くないから塾へ行かせる、友達の子供が行っているから塾へ行かせる。

私がもし子供を塾へ通わせるとすれば圧倒的に後者の理由でしょう。

 

もしお子さんを塾に通わせようとしている親御さんで成績が良くないから塾へ行かせるなどと考えているのであれば、絶対失敗するのでやめましょう。

やってることは義務教育レベルの問題で学校も塾も変わらないのですから家で、あなたが何とかできるはずです。

そのような協力する姿勢がとれないのであれば子供にだけ背負わせるのはやめましょう。それよりも義務教育ではおざなりになりがちな勉強以外の習い事をいろいろやらせてあげましょう。

 

塾という場は普段とは異なるコミュニティを形成することにおいてとても有意義なものとなりますが、やっている内容は学校でやることと同じであるという点でほかの習い事(野球、ピアノ等)とは一線を画すものであると思いからこのようなことを書いています。

 

もちろん野球、ピアノといった授業も存在するのですが1年で数回の授業で何ができるというのかということです。

 

求められるのは教育者の実力主義的評価制度?

はてなマークを入れたのはふと思いついたことなので検証をしていないからです。

私の考えは教育する側もされる側も実力主義で、という考えがとても強いと思うのですが、それでは学力の低い子供へのケアが不十分となってしまうことが課題なのでしょう。

しかしそれがわかっていながらあえてここで書く理由もあります。

 

学力の高い、知能の高い子供へのケアが今の教育では不十分である。

実力はあっても周りに合わせるのが当たり前であると教えられるのであれば突出した人物は絶対に育ちません。

たまにニュースなどで

今の日本にはリーダーがいないのでリーダー育成を早急に進める必要がある

 

と声をあげていますが、遅すぎます。

子供の内からそのような教育をしていかなければ本当のリーダーは育たないのでしょう。

 

はじめから少し話がそれましたが、本題は教育者の実力主義制度です。

大手予備校や私立の学校によくある話ですが、カリスマの講師と呼ばれる人たちの給与は一般の人と比べて大きな差があります。

一方で公立学校であればほぼ同額です。

 

先ほど私は学力の高い、知能の高い子供へのケアが不十分という話をしましたが、

それは教育を行う側でも同じなのです。

優れた能力を持っていても見合った給与が支払われないのであればやる気が起きるはずもありません。

むしろ周りの業種より少し良い額であるがために安定を求めてしまいがちです。

 

そのような問題をどのように解決していくのでしょうか。

それとも本当にもう遅いのでしょうか・・・

 

 

 

 

メディアクリエイターはグーグル検索でヒットしないという事実を掘り下げて行くとちょっと和んだ。

トピック「メディアクリエイター」について

 

わからないことはグーグル先生が教えてくれるこのご時世

「メディアクリエイター」という単語を検索すると。。

 

でてこない(・・;)

 

こんなはてなブログのトピックに上がるのなら絶対職業の紹介とか、Wikipediaとか出てくるものだと思ったのですが、一切出てこなかったです。

ならば検索候補の「メディアクリエイター 仕事」で検索してみると。。

 

出てきた!

マルチメディアクリエイター | お仕事図鑑250 - 日本の学校 | 色んなお仕事を紹介

 

このサイトの内容も踏まえて「メディアクリエイター」を一言で表すと

メディアの企画、制作を行う人

うん。知ってる。

 

よし、ならばメディアだ。

 

メディア、メディア

メディア王国 - Wikipedia

王国ではないはず。

 

メディア (媒体) - Wikipedia

ん。これっぽい

 

一言でまとめると

 

人から人へ情報を伝達するのに使われるもの

概要レベルで読んでいくと、

 

  1. 音楽を届けるためのCD、声を届けるための電話といったハード的な要素がメディアのもともとの意味っぽい
  2. でも広義に理解することも可能で、音楽自身や歌詞カードがメディアと呼ばれることも

 

で結論

 

 

ものすごく広い

 

 

 

なぜかというとマルチメディアの項目もあり、見てみるとはじめから

書籍では動画や音は送れない。文字音声映像動画などを送るのに用いることができるメディアを指して、「マルチメディア」と言うことがある。

 と書かれている

要するに複数の情報を送ることができるのがマルチっていうことだな!

 

せっかくだしリンクでマルチメディアに飛んでみるか

マルチメディア - Wikipedia

 

。。。注目箇所は文末。。。

マルチメディアと言うことがある。

 

マルチメディアと呼ぶこともある。

 

マルチメディアと呼ぶことがある。

 

解釈される場合がある。

Wikipediaが大学で禁止される理由はここにあるのだろうか?

確かにこういうのは辞書ではないけど、、なんか面白い(・・)

 

そして、関連項目にあの「ハイパーメディア」が!

ハイパーメディア - Wikipedia

 

ハイパーメディア英語: hypermedia)は、ハイパーテキストを論理的に拡張し、グラフィックス、音声、動画、テキスト、ハイパーリンクなどを絡み合わせて、一般に非線形な情報媒体を形成したものを指す。

 

こうやって読んでいくとWikipediaでもアンサイクロペディア的に読めるんだなーと妙に和んだ一日の終わり。

 

持論だけれど。

こういうのは深く考えてはいけない。

もしかしたら話は論理的に根底でつながっているのかもしれないけれど、

それを知ったところで、すなわちハイパーメディアクリエイターについて正確に語れるようになったところで、費用対効果が薄すぎる

 

メディアクリエイターについて語る為にモニターに張り付くより、メディアクリエイターになった気分で外に出た方が精神衛生上もいいような気がする。

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京都はそろそろ雪が降るそうなので、景色が変わったら行ってみましょうか。

 

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明日から仕事でテンションが下がり気味だからこの前に行った建仁寺(京都)の写真を並べてみる

明日からまたお仕事ですね。

休日恒例の靴磨きを終えたのはいいのですが、それ以外に特に何もしていなかったせいかこのまま寝てしまうのはもったいないと感じています。

 

でもやる気はおこらないというこのパターンではきっと夜遅くまで起きてしまうのでしょう。

 

そこで、この前散歩がてらに行ってきた建仁寺をご紹介したいと思います!

 

最高の禅寺「建仁寺

建仁寺は 禅寺の名のとおり禅宗のお寺です。

場所は祇園四条から徒歩で5分ほど、京都駅からならバスで15分ほどでしょうか。

 

 

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上の写真が南側にある門で、ここから北の本堂に向かって歩いていくのが正規のルートかと思いますが、祇園市場から小路を通ってくる場合には北側からの入場となります。

 

門の横の入り口を通って境内に入ると庭園が広がっているのですが、まずは少し角度をずらして正面から見てみましょう。

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奥にもう一つ門があるのがわかりますか?

まずはこの門をくぐるとこのような橋があって(わたることはできません)

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奥にもう一つの門が構えています。

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この写真はの右手側に下のような通りがあって本堂まで一直線となっています。

これまで紹介しているのは左手側ですね。

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この道を奥まで(北へ)進むことによって本堂が見えてきます。

入館料は500円でした。

中には風神雷神や、双龍図の天井画やその他襖絵等いろいろ素晴らしいものを見ることができましたが、そのあたりはネットで検索すればいくらでも出てくるので、今回は特に気に入った2枚をアップして早々に終わりとします。

 

枯山水の庭「潮音庭」

まずは奥の方に位置する枯山水の庭「潮音庭」

私が行ったときは12月も公判でしたが、まだ紅葉の名残が残っていました。

後ろの方はすでに枯れてしまっていますね。

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禅宗思想の象徴「○△□の庭」

そして手前の方に位置する「○△□の庭」

〇は「水」、△は「火」、□は「地」を表し、禅宗の四大思想(地水火風)を表現しているといわれています。

写真では□を表す井戸が写っていないという致命的な欠陥があります(笑)

やはりある程度学んでからいくのが一番いいですね。

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京都に来てからいろいろと観光しましたが、ただ歴史に触れるという感覚はむしろ弱く、芸術鑑賞をしに行くような感じで寺巡りをしていると思っています。

歴史的背景がわかればなお素晴らしい写真も撮れるのでしょうが、パソコンの前で調べることしかしていなかった今までに比べて、まずは行動することを目標としている自分にとっては良い傾向とプラスに受け止めています。

 

これまでにいった10か所ほどの名所も同様ですが、四季によって風景を変えるのも日本、京都の魅力の一つなのでもう少し寒さが厳しくなったら二度目行ってみるのも良いかもしれません。

 

これを読んでいただいた方でおすすめの場所、取り上げてほしい場所がある人は遠慮せずに行ってもらえると嬉しいです^^

 

久しぶりに穏やかなブログを書いた気がするので今日はよく眠れるかと思います。

おやすみなさいzzz